バシー海峡を見る by katsukazan

【katsukazan】のブログも東京から台湾 高雄へ。南は黒潮が北流するルソンと台湾本土をまたぐバシー海峡を見る。北回帰線の南、北緯22度38分 は【熱帯】です。 海峡の地図にバシー海峡と、このシーレーンを通った輸送船の沈没の悲劇の歴史を読み取る。 この海峡は南シナ海から西太平洋への出口だ。

タグ:昭和史

5
ルーズベルト

▼池田信夫氏が「ルーズベルトの海戦責任」のタイトルで氏のメルマガの補稿として、氏のブログに投稿されています。

メルマガは読んでおりませんが、ハミルトン フィッシュ(著)、渡辺惣樹(訳)「ルーズベルトの開戦責任」に関するものらしいことが想像できます。

ru-zuberuto

自分にとっても、ルーズベルトとは、この本の帯にあるように、何が何でも戦争をしたかったアメリカ大統領だ。

日本が、中国大陸で、蒋介石軍と泥沼化した日中戦争を展開中、日本の日清、日露戦争によって確保した権益に干渉するために、ハル・ノートを突きつけ、経済封鎖を実行して日本を日米開戦へと誘導したユダヤ系の米国大統領です。

老獪というか、巧みというか知りませんが、この民主党の大統領に好意をよせる日本人は少ないはず。

昭和天皇による「開戦の詔書」には陛下の飾りのない、率直な真意が述べられております。

現代語引用部分抜粋

~~~

東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、

その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、

私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、

帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、

以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に

武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、

ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である

南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、

東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の

平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を

加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、

米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、

経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、

ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、

我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

~~~

▼戦争に善悪をくわえるほどのアマちゃんではありませんが、当時の天皇の位置からすれば、開戦の経緯はかなり明快に判断できます。最後のこの詔書として言わせた一方の歴史のパワーを同書は説明しているに違いない。

「開戦の詔書」

■■■見比べてください。WordPress仕様のブログデザイン


5
皇居

昭和天皇実録が公表されました。 ニュースで、終戦の詔書が流されていました。直接の関係はありませんが、大東亜戦争、【開戦詔書】開戦詔書を取り上げてみたい。

 

多くの日本人には、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズがある【終戦の詔書】があまりにも有名過ぎて、 ともすれば、 終わりばかりを注目してしまうきらいがあります。

何事も、始まりがあって、終がある。

この開戦の詔書を熟読すれば、 侵略戦争云々と言った背景が、薄くなりますから不思議ですね。

仮に、時の軍部、政治家が昭和天皇を欺いていたと仮定しても、陛下を欺いた度合いはせいぜい10%~20%と仮定し、世界史のベクトルが19世紀以降、植民地の獲得の渦中にあったこと。

幸か不幸か、日清戦争、と日露戦争でという世界史の舞台で、それなりの勝利を得てしまった国の国家的宿命は、列強が割譲と権益を求めたのと同様の国家としての行動を取ることは疑う余地もない。

以上を含んで、開戦の詔書を読めば、詔書の記載内容が当時の状況と誤謬があったと仮定しても、概ね状況は内容に近いものと推察ができる。

詔書の中(現代語訳文)で、

>「中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。」

>「さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である 南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。」

むろん、上の2つのセグメントの前後にも興味深い内容は述べられていますが、 kazanには、ことのほか、この2つに注意が行ってしまいます。

その理由は、上段に記載した、前後のセグメントと絡めて読めば、日本が置かれていた状況が明確に見えて来るからです。

100%正なる史料ははあまり存在しませんし、歴史は勝者、権力者の手で書き換えれてきました。 近隣の2つの国では、まったくの捏造を作り上げております。

また1945年8月15日を境に、昨日までの戦争を鼓舞していた巨大メディアがにわかに平和主義者、反戦主義者になったのも、よく聞かされます。

それだけに、淡々と1941年の12月8日に至る説明に真実味を感じてしまいます。


参考リンク

大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)    この中に【原文】【現代語訳文】【読み下し文】が併録されています。


皇居

昭和天皇実録が公表されました。 ニュースで、終戦の詔書が流されていました。直接の関係はありませんが、大東亜戦争、【開戦詔書】開戦詔書を取り上げてみたい。

 

多くの日本人には、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズがある【終戦の詔書】があまりにも有名過ぎて、 ともすれば、 終わりばかりを注目してしまうきらいがあります。

何事も、始まりがあって、終がある。

この開戦の詔書を熟読すれば、 侵略戦争云々と言った背景が、薄くなりますから不思議ですね。

仮に、時の軍部、政治家が昭和天皇を欺いていたと仮定しても、陛下を欺いた度合いはせいぜい10%~20%と仮定し、世界史のベクトルが19世紀以降、植民地の獲得の渦中にあったこと。

幸か不幸か、日清戦争、と日露戦争でという世界史の舞台で、それなりの勝利を得てしまった国の国家的宿命は、列強が割譲と権益を求めたのと同様の国家としての行動を取ることは疑う余地もない。

以上を含んで、開戦の詔書を読めば、詔書の記載内容が当時の状況と誤謬があったと仮定しても、概ね状況は内容に近いものと推察ができる。

詔書の中(現代語訳文)で、

>「中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。」

>「さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である 南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。」

むろん、上の2つのセグメントの前後にも興味深い内容は述べられていますが、 kazanには、ことのほか、この2つに注意が行ってしまいます。

その理由は、上段に記載した、前後のセグメントと絡めて読めば、日本が置かれていた状況が明確に見えて来るからです。

100%正なる史料ははあまり存在しませんし、歴史は勝者、権力者の手で書き換えれてきました。 近隣の2つの国では、まったくの捏造を作り上げております。

また1945年8月15日を境に、昨日までの戦争を鼓舞していた巨大メディアがにわかに平和主義者、反戦主義者になったのも、よく聞かされます。

それだけに、淡々と1941年の12月8日に至る説明に真実味を感じてしまいます。


参考リンク

大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)    この中に【原文】【現代語訳文】【読み下し文】が併録されています。


↑このページのトップヘ