皇居

昭和天皇実録が公表されました。 ニュースで、終戦の詔書が流されていました。直接の関係はありませんが、大東亜戦争、【開戦詔書】開戦詔書を取り上げてみたい。

 

多くの日本人には、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のフレーズがある【終戦の詔書】があまりにも有名過ぎて、 ともすれば、 終わりばかりを注目してしまうきらいがあります。

何事も、始まりがあって、終がある。

この開戦の詔書を熟読すれば、 侵略戦争云々と言った背景が、薄くなりますから不思議ですね。

仮に、時の軍部、政治家が昭和天皇を欺いていたと仮定しても、陛下を欺いた度合いはせいぜい10%~20%と仮定し、世界史のベクトルが19世紀以降、植民地の獲得の渦中にあったこと。

幸か不幸か、日清戦争、と日露戦争でという世界史の舞台で、それなりの勝利を得てしまった国の国家的宿命は、列強が割譲と権益を求めたのと同様の国家としての行動を取ることは疑う余地もない。

以上を含んで、開戦の詔書を読めば、詔書の記載内容が当時の状況と誤謬があったと仮定しても、概ね状況は内容に近いものと推察ができる。

詔書の中(現代語訳文)で、

>「中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。」

>「さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である 南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、 東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。」

むろん、上の2つのセグメントの前後にも興味深い内容は述べられていますが、 kazanには、ことのほか、この2つに注意が行ってしまいます。

その理由は、上段に記載した、前後のセグメントと絡めて読めば、日本が置かれていた状況が明確に見えて来るからです。

100%正なる史料ははあまり存在しませんし、歴史は勝者、権力者の手で書き換えれてきました。 近隣の2つの国では、まったくの捏造を作り上げております。

また1945年8月15日を境に、昨日までの戦争を鼓舞していた巨大メディアがにわかに平和主義者、反戦主義者になったのも、よく聞かされます。

それだけに、淡々と1941年の12月8日に至る説明に真実味を感じてしまいます。


参考リンク

大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)    この中に【原文】【現代語訳文】【読み下し文】が併録されています。



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